多くの時計愛好家が辿った道だが、私はフォティーナ(あるいはヴィンテージスタイル夜光塗料)を猛烈に否定する立場から、ケースバイケースで判断するという立場へと変わった。しばらくの間、上で挙げられたような理由によって、私はフォティーナを一切好んではいなかった。ヴィンテージウォッチ熱につけこんで金を得ようとするペテンのように感じられた。2008年当時の私はそのヴィンテージ熱の高まりについて、純粋ではあるが比較的資金力の足りない私のような愛好家が、法外な値付けによって市場から閉め出されるというひねくれた見方をしていた(現実にそうなったが、一部で恐れられていたほど全体に波及するものではなかった。ただ私はポール・ニューマン デイトナを少しも気に入ってはいない)。そんな私も、2011年には例外を受け入れる準備ができた。ジャガー・ルクルト トリビュート トゥ 1931 USエディションをたいへん気に入ったのだ。絶対不変のものなどなかった。
今の私はヴィンテージスタイルの夜光塗料を一つのデザイン上の特徴として見ており、あからさまな金儲けの試みだとは以前ほどには思っていない。当然ながら、哲学的な異論はいくつか残っている。また、愛好家以外も懸念を抱いている。昨年のSIHHにてカルティエのタイムピース クリエイション ディレクターであるマリー・ロール・セレード(Marie-Laure Cérède)にインタビューしたとき、彼女はこう述べた。オメガ時計 メンズ 人気「私にとってヴィンテージとはトレンドです。ヴィンテージには良い面と悪い面があります。人々は積極的にヴィンテージ品を探していますが、新しい時計がヴィンテージ品のように見えても何の意味もありません。意味すらない、無であるとも言えます。ミレニアル世代を主な対象にこうした品を販売している新興ブランドがあります。たいへん興味深くはありますが、一体何がどうなれば、それが何らかの意味を持つようになるのでしょうか?」
HODINKEE スウォッチ システム 51 ジェネレーション 1986。
他のデザイン上の判断と同様、怠慢あるいは独断的に受け取られるリスクがあることには私も同意する。ただ以前のように怒り狂うことはないし、真新しい夜光塗料よりも心地よさと調和を演出できるものだと思っている(HODINKEEのCOOであるエネリ・アコスタ(Eneuri Acosta)は、これについて私と話す中で、今の職に就く以前にHODINKEEを読み始めた頃、真新しい夜光塗料がどれほど目に痛く無機質かという苦情を多く受けたことを思い出したと言っていた)。また逆説的ながらフォティーナは、黄色の無発光塗料を使う場合にも問題を引き起こしうる。HODINKEE スウォッチ システム 51 ジェネレーション 1986のデザインチームに寄せられたコミュニティからのフィードバックの中には、ダイヤルにフォティーナを使っていることに失望した、という意見が少なからずあった。しかし実際はダイヤルのマーカーには夜光塗料を使っておらず、ダイヤルと針の色との調和を考えて色を選んでいた。これを偽フォティーナと捉えた人がいたのは興味深いことだ。2019年の時計デザイナーの課題として非常に相応しい。
2018年のジャガー・ルクルト ポラリス メモボックス リミテッド エディション。
また時計ブランドは、時間と共に、色付きの夜光塗料を高圧的になりすぎないよう使うことに長けてきた印象だ。結局のところ少量使えば十分なのであり、古きよき時代は頭ごなしに叩きつけるよりもかすかに匂わせる方が効果的なのだろう。ジャガー・ルクルトは2018年にメモボックス ポラリスの限定版オマージュ品を発売した。それには2008年版と同じようにヴィンテージスタイルの夜光塗料が使われているが、その使い方は非常にさりげない。最初は見過ごすほどのさりげなさだが、目に痛い視覚効果になってしまうことを防いたことは確かだ。
私が娘の名前に「フォティーナ」とつけることがないのは間違いない(そして最初のフォティーナが登場した年にHODINKEEが創刊されたという事実に陰謀論者がどう反応するかはぜひ見てみたい)が、けして許容できないものでもなく、時間と共に態度を軟化させている人もそれなりにいるものと考えている。適切に使えば(SS製の新作321 スピードマスターのように)、ヴィンテージ品に起こりうるトラブルの一部を避けつつその魅力と温かみを感じられる良い方法になる。